【簡単解説】『73年10月14日記念碑』の観光情報:血の日曜日事件ってどんな事件?[2018年]

「血の日曜日事件」の犠牲者を追悼する、73年10月14日記念碑。訪れる人は現地の人が多い印象です。

今回は73年10月14日記念碑の歴史、血の日曜日事件について、周辺の観光地、行き方まで、73年10月14日記念碑観光の全てを紹介します!

73年10月14日記念碑とは

73年10月14日記念碑とは、その名の通り1973年10月14日に発生した「血の日曜日事件」で亡くなった人々を追悼するために出来たモニュメントです。

バンコクの最大規模の通りであるラチャダムヌン・クラン通り沿いにありますが、訪れる人は現地の人で観光客は少ない印象です。ただ、民主化運動などが活発になると、こちらの記念碑の近くでも人が集まったりしています。

血の日曜日事件ってどんな事件?

73年10月14日記念碑をちゃんと観光しようとするなら、その背景の「血の日曜日事件」の理解は欠かせません。事件そのものはWikipediaの記事も参照してもらえるとより深く知ることができますが、説明するとかなり複雑なので出来るだけ分かりやすく簡単に説明していきます

1973年10月、タノーム独裁政権に民主化を要求するデモが発生し、学生中心に広まっていき、最高時は40万人もの一般市民が集まりました。このデモを鎮圧するために、活躍したのがラーマ9世(プミポン国王)です。彼は政権側と学生運動側の双方の調停を行い、10月13日政権側は民主憲法の発布と選挙の実施を決めて、抗議運動は収まりました。

民主記念塔に集まった人々

ここまでの話だと、「ラーマ9世のおかげで一件落着になった」、という話ですが続きがあります。

この政権側の声明で大部分のデモ隊は解散したのですが、一部声明が伝達しきれていない所があり抗議をつづけていました。そして、10月14日ラチャダムヌン・クラン通りで暴徒化した学生や市民が軍と衝突し77人の死者と、857人の負傷者が出たと言われています。

手榴弾を持っています。

この「血の日曜日事件」はタイでも民衆が絡んだ悲惨な事件の一つであり、死者を追悼することに加え、その悲惨な事件を忘れないために73年10月14日記念碑が建てられました。

語り継がれる記念碑の資料

記念碑自体は円形の建物の中心にそびえ立っています。高さ10mほどあるので、遠くから見ても判別できるでしょう。

さらに、ここを訪れたら見て欲しいのが建物の奥にある、当時の歴史を語り継ぐ資料の数々です。ここには当時のデモの様子が載った写真であったり、犠牲者の遺族による碑文などが刻まれています。

他にも色々な展示があります。

1つだけ注意して欲しいのが、これらの資料はタイ語での展示しかないということです。一部、英字新聞もありますが、ほとんどどういうことが書かれているのかは分からないので、雰囲気を楽しみましょう。

周辺はタイの歴史に関係する観光地がいっぱい!

先ほども紹介したように、記念碑はラチャダムヌン・クラン通りにあります。この通りはラーマ5世の時代に出来た通りで、通りにはタイの歴史に関する建造物や博物館がたくさんあります。

とりわけ、有名なのが民主記念塔です。ラチャダムヌン・クラン通りの真ん中にあるので、大変目立ちますし民主化の象徴として現在もタイの人々が訪れる場所です。

道路のど真ん中にありますね。

(民主記念塔について興味のある人は、「【簡単解説】民主化の証!民主記念塔の歴史から観光、行き方を徹底紹介[2018年]」で詳しく紹介しているので、そちらを参考にしてください!)

また、記念碑から北に100mほど進むと左手にカオサン通りが見えます。巨大マーケットとして有名なので、そこも訪れてみるといいですよ。

73年10月14日記念碑への行き方

ラチャダムヌン・クラン通りは交通網が特に発展しているので、市内バスが充実しています。バス15、39、44、79、511を利用しましょう。

73年10月14日記念碑の基本情報

  • 営業時間:24時間
  • 入場料:無料
  • 観光時間目安:1時間
  • 場所

まとめ

いかがでしたか。タイ語の資料がほとんど、ということもあって観光客はあまりいません。現地の人々が多い印象です。ただ、タイの歴史に興味のある人は訪れるべきスポットなので、ぜひ行ってみてください!